【禅の教え】生きるってどういう事なんだろうか?

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こんにちは、dai-daiおじさんです。

 

私は心が弱い人間です。その心を少しでも強くしたい、少しでも平穏な気持ちで人生を送ることができればと思い、勉強し学んだことをこのブログに書いております。

 

皆さんの、不安や恐怖感、孤独感などに少しでも寄り添うことができれば嬉しく思います。

 

禅とは

最近、心を柔らかくして、シンプルに生きていきたいと考えていた時、

知り合いの方から、禅の教えを学んでみたらいいんじゃないかと言われて、

色々と本を読んでみたりしています。

 

禅にも色々な考え方があるとは思うのですが、

 

www.myoshinji.or.jp

 

妙心寺さんのHPには、

 

禅とは心の別名です。

ひとつの相にこだわらない無相。一処にとどまらない無住。

ひとつの思いにかたよらない無念の心境を禅定と呼び、ほとけの心のことです。

※HPより引用

 

と、ありました。

 

私が今考えていることに凄くあてはまる感じがしてすっと心が楽になった気がします。

自分の考えや、想いに執着をしてしまい、嫉妬や妬みなどの負の感情が多くなっているように感じます。

そうではなく、流れるように心を受け流していく事ができればいいなと思います。

 

本来無一物

Webで禅の考えなどを読んでいる時にこの言葉を知ることができました。

 

”本来無一物”  人は元々何も持たずに生まれ何も持たずに死んでいく

 

という意味になるそうです。

凄く心が落ち着き腑に落ちたように思います。

ただ生きて何も持たずに死んでいく正にその通りです。

生きている内というのは色々な思いが生まれていきます。

 

最近、妻が事故に合い本当に考える事が多くなりました。

朝起きると同時にものすごい量の思考が頭に入ってきます。

その中で”生きていく”ってどういう事なんだろうかと考えていました。

 

生きる事にそもそも意味があるのか、なんで生まれてきたのか、死ぬとはどういう事かなど思考がぐるぐる回っている内に、今後どう妻と生きていくのかを考えていました。

 

私の浅はかな今の考えでは生きていくことは”許す”ことなのかと思います。

 

今までの自分を許して受け入れる、まずはそこから全てが始まる。

これまでの私は決していい夫ではなかったように思います、妻からも色々と言われることもありました、そんな自分を許して一度生まれ変わるつもりで今後の人生を妻と一緒に過ごすことができればとの思いに至りました。

ただ一緒に生きて死んでいくことができればと。

 

まだ、実際にはどうなるのかは分かりません。自分の気持ちもどう変化していくのかもわかりません。今はただ生きていこうと思います。