【禅の教え】お守りを持つことの意味ってなんなんだろう?

[本記事は広告を含みます]

どうも、dai-dai-おじさんです。

 

全く為にならない、何の解決にもならないブログを書いています。

 

ゆっくりとではありますが、成長したいと考えているので、

 

取り組んでいることなども書いていこうと思います。

 

 

禅とは

 

最近、心を柔らかくして、シンプルに生きていきたいと考えていた時、

 

知り合いの方から、禅の教えを学んでみたらいいんじゃないかと言われて、

 

色々と本を読んでみたりしています。

 

禅にも色々な考え方があるとは思うのですが、

 

www.myoshinji.or.jp

 

妙心寺さんのHPには、

 

禅とは心の別名です。

ひとつの相にこだわらない無相。一処にとどまらない無住。

ひとつの思いにかたよらない無念の心境を禅定と呼び、ほとけの心のことです。

※HPより引用

 

と、ありました。

 

私が今考えていることに凄くあてはまる感じがしてすっと心が楽になった気がします。

 

自分の考えや、想いに執着をしてしまい、嫉妬や妬みなどの負の感情が多くなっているように感じます。

 

そうではなく、流れるように心を受け流していく事ができればいいなと思います。

 

お守りを持つことの意味

 

今回は、こちらの本から

 

 

禅の事を知りたいなと思った時、最初に読んでいた本なのですが、

 

全編を通して読みやすい構成で、あたりまえの事を当たり前にしていくことが重要なんだなと改めて気付かされました。

 

その中で今回とても心の中に入ってきたのが

 

”お守りを持つことの意味”という言葉でした。

 

私の中ではお守りを持っていれば何か災厄などから神様が守ってくれるものなんだろうなというくらいの認識でした。

 

ただ、この本に書かれていたのは、

 

お守りというのはご本尊様(各お寺などの仏様)の分身だと思ってください。

 

その、ご本尊様をあなたが守らなくてはいけないんですと、お守りを大切にする事で、あなた自身を大切にすることになるのです、と書かれていました。

 

この言葉にすごく心が落ち着きました。

 

お守りが守ってくれるはずという行動ではなくて、この、神様をお守りするためにどういう行動をすればいいのかと少し考えてみる。

 

その行動こそが自分自身を大切にするということに繋がってくるのだなと思いました。

 

今まで、あまりお守りを買ったことがなかったですが、

 

来年は買ってみようと思います。

 

あやふやな考えになってしまいましたが、色々と勉強をして考えを深めていこうと思います。

 

何かいい本などがありましたらコメントやTwitterで教えて頂けると嬉しいです。